2020年1月
熊本県玉名市 玉名ユートピア農業研究会(トマト)
代表生産者 岩村 一盛さん
産地だより 2020年1月
今回の産地だよりは、熊本県玉名市でトマトを栽培している協力農家さんの玉名ユートピア農業研究会さんをレポートします。
産地訪問その前に・・「玉名といえば、ここに行きたい!」
この産地だよりは、新年2020年の1月掲載です。今年は、「オリンピックイヤー」。どんな年になるかが今から楽しみですが、東京オリンピックといえば、昨年NHKで放映された大河ドラマ「いだてん」を1年間見ていらっしゃった方も多いと思います。取材日は12月、もう1週で最終回というところ、玉名に行くなら、ぜひここには立ち寄りたい!とひそかに思っていました。
そうです。ドラマの前半の主人公、金栗四三(かなくりしそう)さんは、ここ玉名市和水町(旧玉名郡春富村)のご出身で、その生家に今回立ち寄ったのです。
金栗四三さんは、日本人初のオリンピック選手として、3度も大会に出場され、また、日本スポーツ界を発展させるため、マラソンシューズの開発や箱根駅伝の創設、女子体育の振興など様々な貢献をされた方でもあり、「日本マラソンの父」と称される方です。
現地(金栗さんの生家)に到着すると、ボランティアのガイドさんがていねいに説明してくださいました。200年以上も経っている建物の中に入る前にまず案内されたのは入口の井戸です。テレビでも放映されていた、金栗さんが健康のために子供のころから始めた「冷水浴」は、この井戸から始まったようなのです。なんとこの井戸、文政十一年(1828年)と石に刻まれていました。
幼いころは体が弱かった金栗さんは、学校の先生に「冷水浴」を勧められ、当時の高等小学校まで往復12kmを「かけあし登校」され、「ここでマラソンの基礎がつくられた」とご本人も生前述べていらっしゃいます。
生家の建物は1階面積が214㎡で、広い土間と茅葺きの高い屋根、天井が特徴的な造りです。金栗四三さんは、当時の旧制玉名中学校に入学するまでの約14年間をこの家で暮らしたそうです。
代々地域の庄屋さんをつとめる家系で、造り酒屋さんを営んでいましたが、四三さんが生まれる前にやめていますが、建物の中には、造り酒屋の様子も再現されており、大河ドラマの撮影では、実際にこの場所が使われたと説明がありました。
ドラマは、ここ以外でさまざまなところで撮影されていますが、「いだてん」ファンとしては見るもの聞くものがすべて興味深く、時間を忘れて見学させていただきました。
しかしながら、団体のお客さまも次々にいらっしゃり、「これからが本番」の取材もあるため、後ろ髪を引かれる思いで、その地を後にしました。
玉名ユートピア農業研究会に到着
JR玉名駅からしばらく車で向かうと、玉名ユートピア農業研究会の集出荷場に到着です。
代表の岩村一盛さんと奥さまが出迎えてくださいました。
金栗四三さんの生家に立ち寄ったことをお伝えすると、「ああ、今は『いだてん』で有名ですからね。でも玉名といえば熊本県内でも一大トマト産地なんですよ。」と岩村さん。
玉名市は、熊本県の北部に位置しています。トマト栽培が盛んな地域は、有明海に面した温暖な気候で、江戸時代に有明海を干拓してできた干拓地です。干拓地は土壌塩分濃度が高いためミネラルが豊富で、高糖度で味の濃いトマトが育つ環境が整っています。
玉名ユートピア農業研究会は、179アールの畑で大玉トマトを5名の生産者で栽培されています。
早速、事務所にて、トマトとの出会いからお伺いすることにしました。
お父さまは、昔、いちご農家だったそうです。岩村さんは、最初は会社勤めをしていたそうですが、25歳で農業をはじめ、メロンを10年ほど栽培し、出荷されていたとのことです。
当時は、他県産がメインで、それに比べ熊本のメロンは安定した価格がつきにくくとても大変だったそうです。そんな中、近隣ではトマトの農家さんが増えはじめてきました。
夜遅くまで選果をされているトマト農家さんの姿がとても大変そうだったので、最初はなかなかやろうとは決心できなかったとのことですが、共同の選果場ができたこともきっかけとなり、トマト農家としてスタートすることになりました。
しばらくは、農協への出荷を行っていましたが、そんな中、今は故人となられた福田前代表と出会い、やがて玉名ユートピア農業研究会としてモスに出荷することになりました。
福田前代表との思い出
玉名ユートピア農業研究会は、福田さんが肥料を販売する会社として40年以上前に設立しました。肥料は通常、「有機肥料」か「化学肥料」かといったところですが、福田さんは「発酵肥料」というものを販売し、その肥料で栽培した生産者さんのトマトを東京の市場などに出荷されていました。モスとの出会いはすでに20年以上となり、産地の新規開拓を行っていた当時からモスへおいしいトマトを出荷していただいています。
福田さんは各生産者の圃場をまわり、また生産者同志でいかにおいしいトマトをつくるかなどを話し合っていたそうです。しかし、今回の訪問で、岩村さんと奥さまは他にも様々な思い出を語ってくださいました。
「私はバイクや海釣りを趣味にしていたのですが、福田さんを誘ってみたんです。そのうちお互いに楽しくなって、北海道一週旅行などもしましたね。また、奥さまともいっしょに出かけるなど楽しい思い出ばかりでした。2017年1月に福田前代表は急逝されたのですが、その時、玉名ユートピア農業研究会をこれからどうしていくかを残ったメンバーで話し合いました。実は15年ほど前から代表を交代してほしいとは言われていたんですが、どうしてもその気になれなくて。でもこの研究会での出荷は続けていかなくてはと、集出荷場も自分のところに移して代表も引き受けることにしたんです。」
トマトへのこだわり
そんな、おいしいトマトづくりを引き継いだ岩村さんに、『トマト栽培』のこだわりについてお話を聞いてみました。
「何よりも一番は『土づくり』ですね。土着の微生物の働きをいかに有効に使うのかが重要で、よそからもってきたものはなかなか土地に定着しないんですよ。また、繁殖がしやすい資材を選択することもとても重要です。」
岩村さんのトマトハウスでは、収穫が終了してから、地面に使用する敷料として使っていたワラをすき込み、水をはって、代掻き(土塊を細かく砕く作業)をしていったん畑を休ませるそうです。その後、ビニールを敷き、太陽熱消毒をして次作への病害発生を防止させるという手順です。
「トマトの栽培は、温度、湿度、日照などの周辺環境、糖分、カルシウムといった栄養環境、またその土地が干拓地なのか、砂地なのか、もともとずっと畑だったかという過去からの土地の履歴などでも異なります。また、最近は温暖化の影響で、過去の経験を超える環境変化もありますね。」
お話を聞いていて、とてもご苦労をされていらっしゃることがよくわかりました。
「今年こそは、今年こそはと毎年思い、1作が終わったときは『反省』です。栽培の履歴とその結果を照らしながら・・まさに勉強中ということです。」と岩村さん。
「3日ほどするとトマトの状況は変わるんです。トマトの葉の広がりの角度や実の色づきなどを見ながら、また気象状況の予測も参考に、肥料のやり方などを調整します。」
体の調子を崩して休んで見ていないときはすでに状況が変わってしまうことなどもあり、毎日の観察の日々がどうしても必要になってくるそうです。
トマトのハウス内を見せていただきました。
栽培している品種は「麗容」。玉名の気候に合っているそうです。現在の収穫は4段目。これから6月いっぱいまで収穫は続きます。畑のマルチ(ビニール)をまくり上げると、白い発酵菌が見えました。追肥することで発酵を促し、それで肥料分などを根が吸収しやすくなるそうです。冬は動物性由来の肥料を、暑くなると植物由来のものに変えるなど、さまざまな工夫をされています。
「最近は定植時期が暑くなってきていて、その後のトマトの着果に大きく影響が出ますね。」温暖化の影響が、こんなところにも出ているのかと思いました。
岩村さんからのメッセージ
岩村一盛さんにモスバーガーのお客さまに向けて一言いただきました。
「お客さまに喜んで味わっていただけるために。」をモットーに、『あそこのトマトがまた食べたい』というトマトをメンバー全員で目指しています。おいしさのために、肥料などの工夫、モスの商品に合うよう、甘すぎないトマトにするにはどうしたらよいかなど、日々、農法を探っています。これからも、モスバーガーに合うおいしいトマトを栽培していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
岩村一盛さんが栽培したトマトは、6月末ごろまで、関東甲信越エリアに出荷されます。
Text by Nakayama