2019年10月
北海道勇払郡むかわ町 株式会社モス・サンファームむかわ(トマト)
産地だより 2019年10月
2018年9月6日午前3時7分、北海道で最大震度7の「北海道胆振東部地震」が発生し、震源地から10km程度しか離れていないモスファーム「モス・サンファームむかわ」(以下、むかわファーム)も甚大な被害を受けました。ちょうど1年を経過し復興の途中ではありますが、当時の状況や現段階での復興の様子をレポートさせていただきます。
前日は台風被害
地震災害が大き過ぎて報道が隠れてしまいましたが、実は震災の前日に「台風21号」がむかわファームに爪痕を残していました。日付が変わった9月5日深夜1時頃から風雨が強まり、30分毎のハウス監視中に“バタン!”と激しい音とともに一部のドアが外れ、強風がハウス内に一気に吹き込み、天井の一部が吹き飛ばされてしまいました。必死に体でドアを押さえるしかありません。夜明けとともに修理と収穫にスタッフをグループ分けして対処開始、トマトの一部は風と雨で傷みましたが何とか夕方までに作業終了、全員ヘトヘトになって帰途につきました。「もっとしっかり準備警戒せよ」との警告だったのかもしれません。
そしてその夜中に大地震です。筆者(モススタッフ)は震源から15kmほどの千歳市で震度6を体験。前日の徹夜作業だったためか揺れの途中で目が覚めたようです。ハッと気づいた時には物が壊れる音と激しい揺れで“ただベッドにしがみつくだけ”状態。「何もできない」とはこういうことなのか…と実感しました。部屋の中は落下物で散乱。揺れがおさまってからは10分ほどで「停電」。日本初のブラックアウトは3日間も続くこととなったのです。
夜明けとともにファームへ
「多分、信号も機能していないだろうな」。闇の中の移動は危険と思い夜明けとともにファームへ車を走らせました。ファームまでは千歳市から通常45分ですが、むかわ町に近づくにつれて道が隆起、亀裂、凸凹、路肩の崩落などでとても普通の速度では走れない状態でした。「おいおい、むかわファームは一体どうなっている。スタッフみんな大丈夫か」と心臓の拍動が早くなりました。いつもの2倍の時間がかかってようやく到着。ファーム代表の奥野社長と即時合流。「みんなは?」「とりあえず家族含めて全員無事。避難所にいることを確認できた。ファームには来るなと待機の指示を出したところ」とのこと。まず全員の命の無事が確認できて一安心しました。
むかわファームの被害状況を確認
被害状況について確認するため奥野社長とトマトハウス現場へ。灯油タンクは脚が曲がって転倒してはいるがハウスの外観は一見何ともない。「トマトは大丈夫かな…」とドアを開け内部をみて愕然。今日収穫するはずだった品質のよいトマトが通路に散乱。柱が何本も折れ曲がり、何百キロもある加温機が軽くひっくり返っている。「大変だ!このハウスの柱にどのくらい荷重がかかっているか…。やばいぞ。さっきと同じ規模の余震がきたら潰れるぞ!」。収穫の最盛期で最も品質がよくたわわについている約7,000本のトマトの樹の重量がすべてハウス鉄骨に何十トンという荷重として負荷がかかっています。あらためてスタッフ全員に「ハウスへの立ち入り禁止。近づくことも止めよ。ファームの生産作業は何もできない、落ち着くため、また安全を考え連絡するまで2~3日出社しなくてよし」との指示を発信。事務所のドアを開けてまた愕然。「何で書類びっしりの重い棚と机が横向きにできる?」どうしてここまで無茶苦茶にできるのか自然の驚異は計り知れず、「事務所で仕事していたら死んでいたな…」とつぶやくしかありませんでした。
無念
“これから、今後どうする”“当面何をするか”、完了までどれくらいかかるかわからない片付け作業の合間に奥野社長との打合せ時間が異常に増加しました。まずは「何とかしてトマト収穫を継続できないかな」、「このままだと今後トマトの収穫と収入は期待できず…計画の1/3くらいしか見込めないな。完全な資金不足…借入できるところあるかな…だけど、まずは収穫開始させることをまず考えよう」。最初の行動はハウスメーカー宛に「大至急、収穫が可能になるまででよいので何とかハウスの修繕ができないか」を打診しました。毎日のように度重なる現場での対策協議の結果、「この状態で修繕は不可能。解体して再度新しい材料で組み立て直すしかない」という結論。また、「必要な資金は建設した時の金額より大きくなることは確実」とのこと。このままでは今後のファームの方針を含めてすべて考え直さなければなりません。二人の中では「ファーム継続不可も選択肢の一つと考えなければならないね」との会話もありました。無念。
「激甚災害指定」
数日後から、ファーム再建に向けてとにかく情報を集めようとむかわ町役場、鵡川農協、北海道庁など
行政機関を中心に走り回りました。こういう時に気をつけなければと感じたのは、“うわさ話”が有効な情報にすり替わり無責任に流布する人がいるということでした。そして地震から約3週間が経過した9月28日に政府から「激甚災害指定」の発表。復興補助事業の対象になる可能性があり「これでファーム解散の危機は薄れたかもしれないね」と検討の選択肢が少なくなり、また具体的な再建検討開始ができることとなりました。
再建方針と施設内容、次年度以降のファーム経営を考えて
むかわファームの目的の一つに「夏~秋のトマト、冬~春のレタス栽培」があります。そのためあらゆる周辺環境を考慮し「できる限りこれまでと同等の施設、面積での再建」を目指すことにしました。但し建設費の返済などを含めた来期以降の経営を考慮すると「2019年6月にはトマトの定植作業が終わっていなければならない」ことが施設建設の第一条件でした。これが明らかに難しいことは承知のうえで復興ハウス建設スケジュール検討を依頼。また「余震が続くので地震に強い構造」、前ハウスの欠点であった「空気の循環改善」も設計に含めることも要望しました。
困難な冬季のハウス建設現場
建設会社にとって最も難関だったのは「6月に定植を完了させるということは、5月には出来上がっていなくてはならない」ということとその内容でした。①前ハウスを解体して同じ場所に復興ハウスを建てることは時間的にも労力的にも不可能。②基本的に厳寒期のハウス建設工事は行わないのが常識であり土壌凍結しているためどのような障害が出るか予測がつかない、工期が遅れる可能性も大きい。これらを考えると明らかに無理な工事であることは明白だったのです。
場所の障害については復興ハウスの建設場所を別の農地を借用することで回避しましたが、現実的にはハウス建設会社も初めてのことばかりで、実際にそのあと7月の最終引渡しまで様々な障害、トラブルを発生させ対処しなければならない毎日が続くこととなりました。
トマト定植作業開始
「毎日何かが起こる。何もない日がないよなぁ」と少しぼやきつつ、問題や課題に振り回されながらも予定より10日くらい遅れて5月15日に定植作業が開始できました。並行してトマトを吊り下げる紐の設置をはじめ次々と作業をこなしていきましたが、やはりスタッフを見ていると前ハウスとの作業環境の違いが戸惑いとして体の動きに出ていました。スムーズな行動までにまだ少し時間がかかる様に感じました。
復興ハウスでの初収穫
定植から約2か月。生育状態を見ながら潅水、追肥のタイミングや内容を試行錯誤的に行いますが、土の状態を的確に把握するのは非常に難しいことです。前作のせいなのか、凍結土壌をいじったためなのか、場所による差も大きく訳が分からなくなることも多いですが、来期のためにできる限り記録・記憶をするようにしています。そして7月22日数十個ほどですが、色付いたトマトを全員で並べて品質チェックを行うことができました。一つ驚いたのは、前ハウスと同品種を植えたはずなのにトマトの表情、形、色付きが違う品種かと思うほど違うことです。土の違いがここまで影響するのかとやはり土づくりの大切さをあらためて感じました。
「何とかなる」は絶対にない
“まさか”自分が被災するとは思ってもいませんでした。「余震がこれほど精神的に辛いものか」と感じ、「ブラックアウト」の苦難も知ることができました。あらためて心に刻んだのは「何かが起こってその時は何とかなるだろう、は絶対にない」ということ。決して「なったときに何とかしよう」はあり得ません。よくマスコミで報道されているように家庭では非常用の備品は整えておくこと。またむかわファームとしては、小さな一企業としてスタッフの家族を含めた全員を守るための「企業としての備え」をするため現在も少しずつ整備しています。
今回の震災では激甚災害に指定されたため、負債金額はある程度抑えることになりました。指定されなかったことを考えると、ひょっとすると現時点でこのむかわファームはなくなっていたかもしれません。
近年、全国各地で大きな自然災害がたくさんありました。阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震や大型台風の襲来とその被害等々。『復興』とか『再建』などと言われますが、これほどまでに体力と神経を使うのか、こんなに時間はかかるものなのだろうかなど、実際にこの立場にならなければ想像もできませんでしたし何をすべきかわからなかったと思います。
今でもふっと心が折れそうになるのは正直な気持ちです。しかし、これまでの災害で被害に遭われたたくさんの方々の様々なご苦労、ご心労に心からお見舞い申しあげますとともに、真の復興まで一日一日いっしょに頑張っていきましょう!
Text by Tomio